ツイているあなた、初めまして!!
誠実な皆さま。或いは、愚かな皆さま。
この度はネット回線に護送され、このようなページを開いていただきありがとうございます。
賀士倉 秀魚(がしくら ひでを)と申します。好きな言葉は『減塩』。嫌いな言葉は『増税』です。
チャームポイントはこれと言って思い浮かびませんが、鍋でお湯を沸かした時、必ず床へこぼします。
泥をかぶったカラスの様な面をしておりますが、これでも動物界隈では数えて1番にイケメンです。後ろから。
『霊長類』ではなく『無礼超類』でございます私の事を、知らない方が殆どだと思います。
という事でここではひでをBeginnerの方にワタシの事がどういう人物か記載しておきます。
こちらは生い立ちの話になります!
本当の『死』を経験した人類の1人

さて、のっけから喋りたい事はたくさんありますが、まず言いたい事は
あなたはとっても運がいい!
という事です。
順にお話ししていきましょう。
夏のある蒸した日に、私は都内の病院で生まれましたが、産声はあげませんでした。
死子として生まれてきたのです。
もともとオカンが子供ができにくい体質であり、やっとのことでできたワタシ。
順調にオカンのお腹で育ってきたのですが、生まれるちょっと前に、オトンへ病院電話がかかってきたらしいのです。
産婦人科先生「お子さんが危険な状態になっています。しかし、奥さん の状態も危険です」
オトンは焦り病院へ向かいました。汗だくになり、スーツもぐちゃぐちゃ。
すぐに先生の部屋を入るなりオトンは先生へ言い放ちました。



「どっちも助けてください!!!」
強く短い言葉でした。
真剣なオトンの眼差しを見て当時のお医者さんも迷うことなく「やってみましょう」と返してくれて、すぐに帝王切開が開始。
なんやかんやで手術は上手く行き、私はスムーズにとりだされ、初めて光を浴びました。
或いは暗闇を浴びていたのかもしれません。
息してなかったから。


これが当時のワタシのカセットです。
冷たい空気が手術室に流れます。
しかも両親は2人とも厄年。
関係が無いのに、こんな時に限って関係あるように聞こえる。
すぐに色々な処置がされたようですが反応なし。
死産扱いの合図が……。
「またんかい、あんたら!」
その時、ツッコミを入れるように一人の看護婦さんが巧みなスパンキングをご披露したのです。
僕のお尻でコンガをのリズム刻まれます。当の本人だったからわかりませんが、三三七拍子とかもされていたかは定かではありません。
「おぎゃぁ」
なんと泣き出したのです。
ワタクシ、満を持してご誕生でございます。
……長くなりました。
数分間、私は死に直結しておりました。
今色んなことで悩んでいる方多いと思います。
でもそのほとんどは人間関係の事につながります
人生はいくらでもやり直しがききます。
私はやり直す能力もない時に死の宣告を受けました。
悩むのはおやめください。あなたより不幸な方がここに居ます。
子供だってリスペクトするのだ
死を欺く力はお笑いだと気づいたのは子供の時。
『トランスフォーマー』と『ドラゴンボール』に夢中だったワタシ。
ある日、偶然テレビ番組で見た『バカ殿』と『Mr.ビーン』を見て衝撃を受けました。
「こんな面白い人がいるんだ!」
始めはその程度でしたが、チャップリンなども気になっていて見ていくうちに面白さに目覚めていきました。


すごく幼児だったころのワタシです。とういかこの時に、もうコミカライザー的な素質に目覚めているようにも見えます。
園の時は卒業式で面白おかしく目立ちながら卒業。小学校でもそれを継承して『面白い人ベスト3』などにはランクインする程声をかけてもらってました!
しかしここから問題が生じます。
中学校へ上がり、同じ手で人気者の一角となりますが、この時もっと毎日を面白くしてやろうと思い、台本やらなんやら毎日作るようになってしまうようになっていったのです。
台本は自分の台本です。自分がどう一日を動くか? 予定表よりも緻密で動く隙がなく、まるで機械。
「登校時間ギリギリで、こんなギャグ言えば受けるかもしれない」
「20分の休み時間でこんなフォローを言えればもっとうまくいく!」
そんな感じに一日の中でのアクションを細かく決めていました。
今考えると怖いくらいにキチキチにしてました。
そんなのが耐えられるはずもなく、次第に崩壊していき中学二年生の時に体を壊しました笑
次第に休むことが多くなり、プチ不登校な感じになります。しかし、本当に不登校だったひとからすれば鼻で笑われるくらいの期間限定イベントですので、表現にこまります。
すぐに復帰できたのは気分転換にしていた妄想です。
沢山妄想しました。
みんな大好き、「授業中に悪の集団が入ってきて、自分が根拠のない無双をして追い払う」妄想はもちろん、
「国民的なキャラクターと自分がコラボして冒険する妄想」
「超人になった友達と地元を守る」
「料理をお腹いっぱいに食べる」
などなど……。
次第にそれは小説を書く事につながり、いまでも小説を書いてます。
その内「超人になった友達と地元を守る」妄想は未だに執筆しています。
しかし、高校で同じことを繰り返したのはまさに痛手でありました。
仕組みは簡単。
ここで、マイナス化のプロセスをもう一度詳しく見てみよう!
流石に中学ほどではありませんでしたが、常時疲れたような気分になり、静かに暮らしていました。
当時は1年と2、3年で別人な程に印象が違うので多分後半にあった方はヤバいやつだと思っている事でしょう笑
なんと、疲労感を大学二年まで引きずることになります。
大学へ入るともうおバカみたいな事は通じる事はなく、周りが変に大人になっていくのを見ながら勉学にはげんでいました。
いや、ワタシが変なのですが笑
当時も人を笑わせたり、楽しませたりする気持ちはありましたので、
(なんで真面目なんだろう)
毎日そう思っていました。
その後は静かに小説や企画を考えながら更に静かに生活を送っていました。
この時の写真も載せたいのですが、この期は非常に少なく、あっても加工しにくいものしかないのでご了ください。
しかし、これはだけは覚えています。
それは季節真っただ中の台風の日、私はトイレに行きたく、自室を出たところです。
急いでいたものですから足元などもちろん見てません。
そして、運悪くトイレへ入る前に、横に置いていた鉄製のラックに足の指をぶつけたのです。
「おぎゃぁ」
どこかで、叫んだ声が、よみがえってきました。
復活。そして誕生!
しばらく密かにお仕事をしていた時に、転機が訪れます。
2010年代の事なんですが、なんと番組に出演する機会がありました!
当初は会場視聴に当選しただけだったのですが、ディレクターさんが、僕のアンケート用紙に目を止めてくださって番組に出てほしいといいコーナーにでました。
当初の番組の規約で詳細を見せたり事は出来ないのですが、コーナー自体は、
『番組スタッフによって選び抜かれた視聴者が旬のテーマに沿って競い合う系』
というものでした。
そして何故かワタシが優勝してしまいます笑
競い合う内容は誇れるものではないですが、なぜか私が優勝。他の人は命を懸けたほどの職人芸でした。
最後に人気芸能人との写真を撮影したとき、思ったんです。
「あっ、ワタシはやっぱりコミカル系の存在だな」
二度とないようなチャンスを懐にしまいつつ、私はスタジオをそっと去りました。
まあ、その番組には後日、再度出演する事になったのですが笑
それから私は働きながらまた面白い事を考え始めました。
当然、前例があるので無理が出ないように。
その時、ちょうど『英ちゃん』のモノマネで有名な方(芸人の方ではない)と喋る機会が多々あったことが更にコミカルへのブーストを駆けます。
彼、えーちゃんのオジちゃんは中年男の中の中年男のような方で、上述の通り芸人でもない素人であるのにトレンドと絡める言葉遊びが非常にうまく、当時の芸人なんかよりも非でないほどにトークが面白かったのです。
私はしばらく働きながら自主的に彼の言葉遊びをメモに書いてリハビリを含めた勉強をし始めます。
そうして日は流れ、私は最初の顧客を獲得する事になるのです。
しかし、ワタシは疑い深い性格にもなりつつあったので本当にこのトークは面白いものなのかと思いつつ、そのトークを崩れない程度に自己流にアレンジし、近くのホットドック専門店へ披露しに行きました。
「君、めちゃくちゃ面白いね」
初対面にもかかわらず、お店からの返ってきた反応は良く、すぐに仲良くなれました。
久々に人を楽しませる事ができて、その心地よさは今でも体に染みついて離れません。
非常にプラスになった一瞬です。
しばらく僕のあだ名は「男祭り」になりましたけど。
悪運ってどこかで遭遇するものです。
「男祭り」が解除されるイベントと入れ替わるように、えーちゃんのオジちゃんが職場と駆け落ちするように移動になったのです。
いきなりの事だったのでワタシはそれに驚いて変な声を上げました。
「おぎゃぁ」
と、良い慣れた言葉を発しました。
ワタシは嘘は言っておりません。
多分当時は驚きで「おじさん!? ぎゃぁぁっ!!」とでも言いたかったんでしょう。
とりあえず、驚きで呂律が4倍速くらいになっていたのはまだ新しい記憶です。
最後に
……てな所でコロナが到来し、結婚式やお祝いを取りやめた家族に向けて「お祝動画」などを提供しながらクリエイター業、コメディアン業を水面下で続けていました。
今後の目標は「最高に楽しめるコンテンツを世界に発信する」事を目標にしてます!
まだまだ日が浅いですが、どうぞ、よろしくお願いします!
